2012年2月15日水曜日

120215 パソコンをマイコンと呼んでいた頃Ⅱ

こんにちはHousukeです。

前回『120110 パソコンをマイコンと呼んでいた頃』の続きです。
👾タンディTRS-80 👾
TRS80でインベーダーゲームをすることはありませんでした。土台無理な話で、グラフィック機能はなく、1バイト文字領域を6分割した擬似グラフィック文字を代用する粗いものでした。
<TRS-80の擬似グラフィック文字>
使用できる言語も恐ろしく重たいBASICインタープリタだけで、今調べても他に選択肢はなかったようです。


数年後、NECから PC8001が発売されます。このPC8000シリーズが国産パソコンのブームの皮切りになったことは異論がないところだと思います。
👾 NEC PC8001(1979年9月発売 販売数:25万台) 👾

価格は勿論のこと、性能でも、海外製のApple,Tandy,PETを凌駕していました。
ただ、発売当初は使えるソフトが無く、遠い記憶ですが順調に売れ出したのは発売から一年以上経ってからだったと思います。NEC PC8001の販売が伸びるに連れて“パソコン”というネーミングも広がっていきました。

80年代は国産パソコン時代の始まりでした。
👾 シャープ MZ-80 👾
クリーンコンピューターというネーミングで登場しました。デフォルトでは、ただの箱同然のクリーンなコンピュータが、BASICインタープリタ入りのカセットテープを読込んだ時点でアクティブなBASICマシンになるという意味です。それなら他に使える言語があったかというと、たしか最後まで無かったと思います。
BASIC ROMを省いたことが大きく寄与したと思いますが、競合メーカのなかでは一番安価でした。

👾 日立 ベーシックマスター 👾
BASICプログラムの移植を頼まれたことがあります。厚手の鉄板製シャーシで、えらく重かったことを覚えています。初のフルグラフィックでしたが、テキスト文字もグラフィック領域に書いていたので、テキスト文字の表示はヌルヌルと鈍い感じでした。

この後、東芝、富士通、SONY、Panasonicなどの大手メーカーが続き、周辺機器でも、TEACやパイオニアや、聞いたことがないものも含めたくさんのメーカーが参戦します。
パソコンの生産台数は、NECだけでも 2000万台(~98年)だそうです。小さな街の電気屋さんにも、一式百万円くらいする国産の大手メーカーのパソコンが必ず置いてありました。
誰もが日本の半導体技術は世界一だと思っていました。


爆発的に増えたパソコン(当時はマイコン)に対して、それを扱えるエンジニアが不足していました。
Housukeも、趣味の電子工作つながりで、大手社員のかたわら二足のわらじでプログラムを書いて売るようになりました。そのとき板橋の機械工具の問屋さんの社長と知り合いになり、販売管理などのパッケージソフトを制作・販売しました。
👾 Housukeが当時作った“PC8000用 販売管理ソフト” 👾
ちなみにこの時のライバルは、今でも残っている“弥生会計”、当時の社名は“ミルキーウエイ“一社だけでした。
このあと、OSがWindowsに移行する頃、Housukeには太刀打ちできなくなって、二足のわらじは止めました。この頃、思ったほど頭の良くないことを自覚してきていました。調子に乗ってスティーブジョブズ気取りで起業なんかしていたら、多分今の安定した年金生活は無かったと思います。危ないところでした。

👾 ガラパゴスvsグローバル化 👾
2000年より少し前だったと思いますが、出向していた子会社でオンライン端末を増設するときに、“DELLのパソコンが安くていいよ”、と本社から情報がありました。確か、1台 9万円くらいでDELLのGX100を 5~6台注文した覚えがあります。CPUやメモリなどオーダーメイド形式で指定し、生産・発送進捗をインターネット(と言っても電話回線)で照会できるようになっていました。
それまでは、高価なPCにたしか 一枚60万円もするISDNへ繋ぐためのIBM製のVTAM基板を付けて、端末一台に100万円掛かっていました。
 デル、10万円を切るモデル『OptiPlex GX100』を発表 

この時、日本製のパソコンが、一気に海外製パソコンに入れ替わったような気がします。言い換えれば、ガラパゴスがグローバル化勢に完敗したとも言えます。
海外製パソコンは、80年代中ごろからDOS/V規格(IBM PC/AT Compatibles)で統一されてきます。ユーザーはメーカーやブランドが違っても一々使い方を覚える必要がないので、この上なく使いやすく、それだけでなく数量効果によって周辺機器やソフトウエアの価格を安く供給することができます。
一方、日本製のパソコンは各メーカーの仕様が違うので、周辺機器やソフトウエアがそれぞれ専用に開発・販売されていました。90年代に入って、DOS/V対応に舵を切りますが、海外製パソコンとの価格差をなかなか縮めることができないで徐々にシェアを失っていきます。90年代前半から強烈な円高に推移していったことが大きな原因ですが、メーカー側としても、例えばNECでは最後まで背負っていた 98仕様の重装備、富士通ではオフコン譲りのオーバースペックな仕様などのガラパゴスな事情が少なからず影響したと思います。
このあとは誰もがご存知のように、海外製パソコンはさらに価格が安くなっていって、先進国だけでなく あまりお金のない国・地域にまで広く普及していきます。


- 追記 -
2018年の今になってみると、グローバル化のすべてが正義だとも言えないようなことが起きてきました。製品開発や製造技術などの知的財産が不正に使用され、国家間の争いの種になるようになってきました。なんでもかんでもオープンにしてしまうと、便利・豊かになることとは別にある種の不都合が起こるようです。

<日本の電力会社>
話は反れますが、日本の電力会社各社のネット回線はグループ内で閉じているそうです。外部から侵入されることがないので、発・送電の遠隔操作などもそのネットワーク回線を使って低コストで行っています。知られた話ですが、端末のOSはサポートの切れたWin95で済ませているそうです。
インフラやその設備に使う部品も、純国産であることが必須で、ネジ一本に至るまでいっさい輸入品は使いません。
(最近、その設備を製造する町工場でアルバイトをしたので...)
ガラパゴスの中の生粋のガラパゴスですが、案外正しいのかも知れません。
これで、電気代を世界水準並にしてくれれば、文句のないところなのですが...

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